大岩義明選手
~アジア競技大会に出場する選手を応援しよう~
アジア競技大会に出場する選手を知って、選手を応援するシリーズ。
今回は、総合馬術の大岩義明選手に話を聞いた。
■ポニーきっかけに馬術へ 最初は怖くて嫌だった
2024年7月29日、48歳の誕生日を迎えて間もない大岩選手はフランス・ベルサイユ宮殿の特設会場で行われたパリ五輪総合馬術団体で銅メダルを獲得し、「初老ジャパン」の一員として話題となった。馬術としては1932年ロサンゼルス五輪の障害飛越個人で金メダルを獲得したバロン西こと西竹一以来、92年ぶり、総合馬術では初となるメダル獲得の快挙に日本中が沸いた。

2018年のジャカルタ・パレンバン大会では、団体・個人ともに金メダルを獲得(写真は日本馬術連盟提供)

取材の数日前にヨーロッパから日本に戻ってきたばかり。取材の後、北海道で行われる馬術関連のイベントで解説を務めるため、羽田空港に直行した
そして、生まれ育った愛知県への思いを胸に、この秋の国際大会を一つのステップとして、今後の世界舞台でのさらなる飛躍を見据えている。「結果を残せるよう、あらゆる可能性を追い求めています」。そう話す大岩選手の歩みは、トップアスリートの軌跡というより、「人と馬が共に成長してきた時間」の積み重ねそのものだ。
そうした時間の堆積をたどる前に、「馬のトライアスロン」にも例えられる総合馬術という競技を簡単に説明しておこう。競技は3日間かけて、同一の人馬によって行われる。馬に様々な合図を送り、様々なステップを踏む馬場馬術、自然に近い地形で障害物を飛び越えるクロスカントリー、そして決められた順番に障害物を越える障害馬術の3種目があり、団体は各チーム3人馬の合計点を競う。
しかも、3日目の障害馬術の前に獣医師らによる馬体検査が行われ、競技可能なコンディションかを確認し、合格することで競技を続けられる。「文字通り人馬一体。常に馬とコミュニケーションを図り、良好な状態を維持するためのケアが欠かせません」と大岩選手。日本ではコース設定に適した場所が少ないこともあって、今ひとつ馴染みの薄い競技だが、ヨーロッパでは人気のスポーツで、過去に数十万人の観客を動員した大会も。「やはり、本場はヨーロッパ。特に貴族制度の残る英国で盛んです」と大岩選手が教えてくれた。
さて、大岩選手と馬との出会いについて戻ろう。長野県茅野市の蓼科高原に大岩家の別荘があり、小学生の頃、その近くにあった観光牧場のポニーに乗ったのがきっかけだった。「10歳の頃だったかな」。その時によっぽど楽しそうにしていたのか、親が実家のある名古屋市内で馬術を行っているスポーツ少年団を探してきて入団。本格的に乗馬を始めた。もっとも、ポニーとは比べられない大きさの馬を取り回す難しさに、「最初は本当に怖くて、乗馬なんてやめたいと思っていました」と大岩選手が振り返るように、子供にとって馬術は想像していた以上に過酷な競技だった。

「馬の気持ちを汲み取ることが大切。お互いの信頼感を高めていくことが競技の成績にもつながります」
■夢の五輪へ思い再燃 本場英国で修業の日々
転機となったのは、名古屋市郊外の乗馬クラブへの移籍し、新しい仲間と出会ったこと。同世代や先輩と過ごす時間の中で、競技は「怖いもの」から「楽しいもの」へ変わった。特に、身近な先輩が話してくれた五輪に出場した経験は、大岩選手の中に「いつか自分も」という新たな目標になった。私立名古屋中学、高校と馬術部に所属しながら、クラブでも研鑽を積み、高校時代には愛知県で開かれた国体にも出場した。
大学は愛知を離れ、馬術部の強かった明治大学へ進み、主将や大学チャンピオンを経験。順調に見える競技人生だったが、大学卒業後に一度、馬術から離れた。一般企業に就職し、害虫の駆除などを行ったという。「それまでの自分は家族から様々な支援を受け、恵まれた環境で馬術を続けることができましたが、自分が親になってそのような環境を子供にも提供できるかと言えば……」という将来への不安があった。
ところが、社会人になった翌年の2000年に行われたシドニー五輪の開会式をテレビで見ていた時、「五輪に出たい」という子供の頃から抱き続けてきた思いが止みがたく沸き上がってきた。「(五輪の開催される)4年ごとに、こんな気持ちになるんじゃ、たまらない」と、翌2001年、単身渡英。馬術の本場に身を置いて夢の実現に向けて挑戦が始まった。英語も十分に話せない中、知り合いの厩舎で働きながら競技経験を積む日々。夢が潰えた時に備え、庭園デザインの勉強もしたという。「自分の人生を今振り返っても、随分思い切ったもんだなと驚きます」と大岩選手は笑いながら話す。

競技用のズボンとブーツをはいて。手には馬術のヘルメット。いずれもフルオーダーだという
海外で経験を積み重ねながら競技力を高め、2008年の北京五輪から5大会連続で日本代表として五輪に出場。結婚を機に家族と共にヨーロッパに拠点を置き、世界を舞台に挑戦を続けてきた。長年にわたり第一線で活躍する姿は、今や国内外の選手から馬術競技のレジェンドとしてリスペクトされる存在に。

総合馬術は様々な障害に挑みながら、馬との信頼関係や技術を競うタフな競技(写真は日本馬術連盟提供)
今年7月半ば、50歳になったばかり。「体力がめっきり落ちてしまい、『引退』という二文字が脳裏をよぎることもあります」と話しながら、競技を続けている。その理由の一つには、同世代からの声援があるという。「『勇気をもらった』と言われることで、自分もまだ走り続けようと思えるんです」。加えて、日本の馬術界全体を見据え、「自分たちが今、競技から引いてしまえば、日本のチームが海外で戦えない空白期間が生まれてしまうかもしれない」という責任感も活動を支えている。

人馬一体。馬とのコミュニケーションが競技を左右する(写真は日本馬術連盟提供)
今秋出場する国際大会では、新しい馬とのコンビで臨む。その準備は決して容易なものではないという。わずか数か月で馬と信頼関係を築かねばならず、大勢の観衆の前での実戦も馬にとってはほぼ初めての経験となる。「そうした中で苦労しながら競技をしている姿を見てもらうのも面白いと思います」と大岩選手は話す。そこには、完成された強さだけでなく、人馬一体となって競技に臨む過程そのものを大切にする馬術の本質がある。「人と馬が共に成長してきた」大岩選手の時間に、故郷・愛知を中心に開催される国際大会という大舞台で新しい1ページが書き加えられそうだ。
